広島地方裁判所 昭和46年(ワ)768号 判決 1980年7月24日
原告 山県久美江
原告 山県泰子
右原告両名訴訟代理人弁護士 橋本保雄
右訴訟代理人弁護士(亡) 馬場照男
訴訟復代理人弁護士 馬場則行
被告 国
右代表者法務大臣 倉石忠雄
右訴訟代理人弁護士 末国陽夫
右指定代理人 河村幸登
<ほか四名>
被告 日本舗道株式会社
右代表者代表取締役 名須川秀二
右訴訟代理人弁護士 白川彪夫
被告 岡本繁
被告 中垣満
右被告両名訴訟代理人弁護士 秋山光明
右同 新谷昭治
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告山県久美江に対し金五〇二万四一六二円、原告山県泰子に対し金八〇四万八三二五円及び右各金員に対する昭和四四年五月四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 (被告ら四名)
主文同旨
2 (被告国、被告岡本、被告中垣)
仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 事故の発生
(一) 衝突事故
昭和四四年四月一六日午後七時四〇分ころ、亡山県泰佑(以下、「亡山県」という。)は普通乗用自動車(広島五に六九二二号)を運転して旧安佐郡佐東町(現在広島市佐東町、以下本件道路関係は旧町名による)佐東バイパス上を可部町方面から広島市方面に向け南進中、佐東町緑井四二九三番地広島ツノダ自転車販売先の右バイパス入口三叉路(以下、「本件事故現場」という。)において、中央分難帯に自車の右前部を衝突させ、右衝突により全身打撲の傷害を受けた。
(二) 診療事故
亡山県は、右事故のため被告岡本繁が経営する岡本病院に昭和四四年四月一六日から同年五月三日まで通院し、同年五月三日は担当医被告中垣満の診療治療を受けたが、同月四日午前七時五〇分ころ右衝突事故の際生じた左内、外頸部動脈分岐部下方約一センチメートルのところの小動脈瘤が破綻し、それに基く口腔内多量出血により気道が閉塞されて窒息死した。
2 責任
(一) 被告国及び被告日本舗道株式会社
(1) 被告国の道路設置管理責任
被告国は前記バイパスを建設し、佐東町八木から本件事故現場までのバイパス片側二車線(中心線より西側部分、以下本件道路という)を道路(国道五四号線)として供用を開始し、八木方面から広島市方面に向けて南進する車の一方通行を許可し、本件事故現場に中央分離帯に接続して安全島を設置した。
しかして、右の中央分離帯及び安全島は八木方面から広島市方面に向け南進する自動車の進路の前面に進路を妨害する形態で設置されたもので、南進する自動車が衝突する可能性の高い危険なものであった。
しかるに、被告国は本件事故現場付近に街灯を設定して明るくするなどの措置をとらないばかりか、赤色保全灯、バリケード、視線誘導標及びキャッツアイ等を数個設置したに止まり(しかも安全島の位置を誤認させるような設置の仕方であった。)、しかも、これらの設備のうち、赤色保全灯、バリケードは転倒のため、視線誘導標、キャッツアイは降雨等のため十分に機能していない状態のまま放置されていた。
したがって、被告国には本件道路の設置管理に瑕疵があり、本件事故はこの瑕疵のゆえに発生したものであるから被告国は国家賠償法二条により右事故により生じた損害を賠償すべき責任がある。
(2) 被告会社の工作物責任
被告日本舗道株式会社(以下「被告会社」という。)は、被告国から本件事故現場付近の舗装工事及び分離帯築造工事を請負い、安全島付近に赤色保安灯などを設置するなどして本件事故現場付近の道路を占有していた。
したがって、被告会社には、前同様の事由で土地の工作物たる本件道路の設置保存に瑕疵があり、本件事故はこの瑕疵のゆえに発生したものであるから、被告会社は民法七一七条により右事故により生じた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告中垣及び被告岡本
(1) 亡山県の病状及び診察の経過
亡山県は昭和四四年四月一六日被告岡本の経営する岡本病院に来院したとき、同人が自動車の衝突事故を起こしたことを告げ診療を求め、通院加療中燕下痛、発声時痛を訴えて精密検査を求め、しかも同人の左頸部は腫れていた。更に同年五月三日午後八時ころ同病院に来院して被告中垣の診察を受けた際には、左頸部が異常に腫れあがっており、「血管が切れるような気がする。」などと疼痛や圧痛を訴えた。しかし医籍登録前の被告中垣は被告岡本から電話による指示を受けて左顎下部リンパ腺炎と診断し、痛み止め等の治療を行なったうえ帰宅させた。
(2) 過失
亡山県は通院加療期間中に燕下痛、発声時痛を訴えていたが、患者の燕下困難等の主訴は頸部の動脈瘤の存在を臨床的に示唆する所見であり、また同人の左頸部に腫脹が認められたのであるから、被告中垣は頸部動脈瘤の存在に気付き又はその疑いを持つべきであったにもかかわらず不注意にも右動脈瘤の存在に思い至らず、その検査及び治療をしなかったもので、右診療行為には過失がある。
仮にしからずとするも、遅くとも同年五月三日午後八時ころ亡山県が診察時間外に来院した際には、疼痛のみならず圧痛をも訴えて頸部の腫脹は突然増大し異常な程腫れていたのであるから、被告中垣は動脈瘤の存在及びその破綻を疑って入院させたうえ血液造影剤の注入等による検査及び右治療をなすべきであり、少なくとも入院させて絶対安静として経過観察すべきであったにもかかわらず、不注意にも右動脈瘤の破綻に思い至らず入院検査等の適切な処置を講ぜず、単なるリンパ腺炎と診断しなんら適切な手段を施さないで帰宅させたもので、被告中垣の診療行為には過失がある。
(3) 責任の根拠
したがって、被告中垣は民法七〇九条により亡山県の死亡によって生じた損害を賠償すべき義務があり、被告岡本は被告中垣の使用者として民法七一五条により右損害を賠償すべき義務がある。
(三) 共同不法行為
亡山県は前記衝突及び診療の両事故に起因して死亡したもので、被告ら四名は共同して亡山県に損害を与えたものというべく、民法七一九条により連帯して右損害を賠償すべき義務がある。
3 損害
(一) 逸失利益
亡山県は死亡当時満四七才で就労可能年数は一六年であり、当時訴外有限会社時正堂の代表取締役として年間六六万円、訴外協同組合広島クーポンの常務理事として年間二九万六〇〇〇円、訴外広島信販株式会社の常務取締役として年間一六万七五〇〇円の各給与を得ていた。右収入を得るについて同人の年令からしてその生活費は三割程度とみるのを相当とするから、同人の年間純収入合計は七八万六四五〇円となる。よって、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右一六年間の逸失利益の現価を計算すると、金九〇七万二四八七円となる。
そして、亡山県の死亡により原告山県久美江は配偶者として三分の一である金三〇二万四一六二円、原告山県泰子は子として三分の二である金六〇四万八三二五円の右損害賠償請求権を相続した。
(二) 慰藉料
原告山県久美江は亡山県の妻として、原告山県泰子は同人の子として本件事故に基づく亡山県の死亡により甚大な精神的苦痛を受けたが、これを金銭をもって償うためには各金二〇〇万円が相当である。
4 結論
よって、被告らに対し各自、原告山県久美江は前項(一)(二)の損害金合計金五〇二万四一六二円、原告山県泰子は前項(一)、(二)の損害金合計金八〇四万八三二五円及び右各金員に対する亡山県の死亡の日である昭和四四年五月四日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 被告国
(一) 請求原因1(一)の事実中、本件衝突事故があったことは認めるが、事故の態様及び負傷については不知。
(二) 同1(二)は不知。
(三) 同2(一)(1)、(三)は争う。
本件事故現場付近の道路の設置及び管理については次のとおり瑕疵はなかった。
被告国は亡山県の進路に沿って徐行標識四枚、視線誘導標(デリニエーター)多数を設置したうえ、進路に対面する安全島内にバリケード七基、デリニエーター一四本、赤色保安灯七本、風力回転警示器二基、キャッツアイ三個を設置していたから、夜間においても安全島、中央分離帯の所在を明らかにする施設は完備していた。赤色保安灯やバリケードが本件事故以前から転倒していたか本件事故のため転倒したかはわからないが、右はわずか一、二本にすぎず全体の一部であって安全島は十分確認できたはずである。本件事故現場付近には前記安全施設が完備されていたから自動車が夜間前照灯をつけて走行すれば、街灯が設置されていなくても充分道路状況・本件事故現場を確認できたはずであり、道路の安全性の確保に欠けるところはなかったというべきである。
亡山県が、夜間前照灯をつけて前方を十分注視していたならば本件分離帯及び安全島の手前一〇〇メートル(前照灯上向きの場合)ないし三〇メートル(前照灯下向きの場合)で前記道路状況及び安全施設を確認でき、本件のごとき衝突事故の発生も容易に避け得たはずである。しかるに、亡山県は当時夜間であるのに前照灯をつけず、雨の中を前記徐行標識にもかかわらず制限時速六〇キロメートルをも超えるかなりの速度で走行し、前方注視を怠ったために本件事故発生に至ったものである。
以上のように、本件事故は亡山県の運転上の義務違反に基因したもので、自損行為というべく、被告国として、かような車両まで予想した道路の構造設備等の設置、管理義務まではなく、本件道路の設置管理に瑕疵はないというべきである。
(四) 同3(一)、(二)は不知。
2 被告会社
(一) 請求原因1(一)、(二)はいずれも不知。
(二) 同2、(一)(2)(三)は争う。
本件中央分離帯及び安全島の設置及び保存に瑕疵はなかった。
また、被告会社は本件事故当時本件現場付近道路を占有していない。つまり、被告会社は完成期限を昭和四四年三月二五日と定めて事故現場付近の道路舗装工事及び中央分離帯築造工事を請負い、右期限前に現実に完成し、同月二〇日完成届をなし、同月二二日被告国に引渡を終っている。そして他方、被告国は同年二月二六日付官報で同年三月一日から道路の供用を開始する旨告示している。これらからして、まず右三月一日をもって被告会社の占有は終ったといえるし、仮にしからずとするも、少くとも三月二二日被告国に右引渡を終って後は本件現場付近道路を占有していないというべきである。
(三) 同3(一)の事実中、亡山県と原告両名の身分関係は認め、その余は争う。同3(二)は争う。
3 被告中垣、被告岡本
(一) 請求原因1(一)は不知。
(二) 同1(二)の事実中死亡原因は否認し、その余の事実は認める。本件死因は小動脈瘤破綻以外の原因による口腔内多量出血に基く窒息死である。
(三) 同2(二)(1)の事実中亡山県が岡本病院に来院して自動車運転中衝突事故を起こした旨告げて診断治療を求め、通院加療していたこと、昭和四四年五月三日午後八時ころ来院して被告中垣の診察を受けたこと、その際燕下痛発声時痛を訴えたこと及び被告中垣が左顎下部リンパ腺炎(腫脹)と診断し、痛み止め等の治療を行なったうえ帰宅させたことは認め、その余は否認する。
(四) 同2(二)(2)(3)は争う。
亡山県が燕下痛、発声時痛を訴えたのは昭和四四年五月三日夜八時ころであり、同人は交通事故とは関係がないと訴えたので、被告中垣は咽頭部軽度発赤、左顎下部に拇指頭大の腫脹、圧痛を認めたが、外傷、皮下出血、色素沈着等の所見もなく、その腫脹は搏動性のものでもなく、頸部に動脈瘤を疑うような著変は認められなかったうえ、一般に頸部の動脈瘤は非常に稀であり、外傷性、非外傷性を含めて一九七二年までに全世界で五二例が報告されたにすぎないほどであって、右診断は極めて困難であり、これを臨床上発見することは不可能であった。
特に本件の小動脈瘤は長さ一センチメートル、長径一・五センチメートル、巾〇・五センチメートルの大きさであるところ、動脈瘤の大きさが二センチメートル以下の場合であれば臨床的に腫瘤として認められることはほとんど不可能であるとされているのであって、被告中垣が右動脈瘤の存在を疑わなかったことにも過失はなかったというべきである。
ところで、動脈瘤の診断は血管造影撮影又は左総頸動脈の経皮的穿刺により可能であるとの見解があるが、前記のとおり頸部の動脈瘤が極めて稀であってその診断が困難であり、当夜左頸部の小動脈瘤もしくは破綻を疑うに足る徴候もないのにそれなりの危険性を伴う血管造影術又は動脈穿刺を行なうことは通常の医療水準上期待可能性はなく、又岡本病院にそのための設備もなかったから、当夜右方法をとらなかったことに落度はない。
(五) 同2(三)は争う。
(六) 同3は不知、但し、被告岡本の関係で同3(一)の事実中亡山県と原告両名間の身分関係は認める。
三 抗弁
(被告国及び被告会社の過失相殺の抗弁)
仮に道路の設置管理(保存)に瑕疵があるとしても、本件事故は亡山県に前方不注視や安全運転義務違反など重大な過失があるから損害賠償額の算定にあたっては右亡山県の過失が充分斟酌されるべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
亡山県は制限速度である時速六〇キロメートルないしそれ以下で走行し、前方不注視等の過失はなかった。
第三証拠関係《省略》
理由
一 衝突事故について(被告国及び被告会社の関係)
1 《証拠省略》によれば、昭和四四年四月一六日午後七時四〇分ころ、亡山県が普通乗用自動車を運転して広島県安佐郡佐東町所在佐東バイパス上を可部町方面から広島市方面に向けて南進中、本件事故現場において、中央分離帯の東北端に自車の右前部を衝突させ、右衝突によって全身打撲の傷害を受けたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない(本件衝突事故があったことは原告らと被告国の間で争いがない)。
2 原告らは、被告国及び被告会社に本件事故現場付近の道路の設置又は管理もしくは保存に瑕疵があった旨主張するので、以下この点につき検討する。
(一) 本件道路及び事故現場付近の状況
《証拠省略》によれば次の事実が認められる。
(1) 国道五四号線の佐東バイパス(広島市から可部町方面に向う国道のうち安佐郡安古市町古市から同郡佐東町緑井の本件事故現場付近を経て同町八木上細野に至る延長約五・二キロメートル)工事は、安佐郡佐東町内を通る上下二車線の旧国道の幅員が狭小なうえ鉄道との平面交差を有するなどでこれに代えて同町を迂回する上下四車線(片側二車線)の道路を築造するもので、昭和四一年五月ころからその工事に着手していたものであるが、被告国は、被告会社に対し昭和四三年九月一九日本件事故現場付近の道路舗装工事及び中央分離帯の築造工事を請負わせ、被告会社は被告国の出先機関である建設省中国地方建設局広島国道工事事務所可部出張所の監督のもとに同月二〇日から工事を実施した(被告会社が右工事を請負っていたことは当事者間に争いがない)。そして、本件事故当時、右佐東バイパス工事は、安古市町古市から北進して佐東町緑井の本件事故現場の三叉路(旧国道とバイパスがY字型に交差する)に至るまではその四車線の道路舗装、中央分離帯の築造等がすべて終っており、さらに被告会社は、右三叉路から佐東町八木八木峠までの片側二車線(本来広島市方面から可部町方面に向かう下り車線となる西側の車線)の工事も昭和四四年三月二〇日までに完成させて、すでに舗装ずみの広島市方面に至る右四車線道路に接続させ同月二二日建設省に引渡した。なお、本件事故現場付近から八木に向う東側の片側二車線の未完成部分は未舗装のまま次年度以降の工事に持ち越され、被告会社の前記請負工事は右引渡しで一応終った。
ところで、佐東バイパスも右片側二車線が完成して通行可能な状態となったことから、そのころ建設省と警察当局の協議が行なわれ、旧国道の混雑度も一層増加している折柄その交通渋滞を緩和するため、一先ず完成した右片側二車線を可部町方面から広島市方面に向う南進のみを許す一方通行として供用を開始することとした(北進車は三叉路から旧国道を進行する)。右片側二車線は本来下り(北進)車線であるため、そのまま南進すれば右三叉路において広島市方面から北進する対向車両に衝突する状況となる。そこで、これらを防止し、車両を適切に誘導するため、つまり、右Y字型三叉路において、片側二車線及び旧国道から南進する車両を対向車両との衝突を避けて三叉路以南の左側車線に誘導し、また、佐東バイパスを北進する車両が三叉路から片側二車線に直進しないで左側旧国道に進行するよう誘導するため、右三叉路部分に土のうを積んで三角形をなす後記安全施設(以下「安全島」という。)を設置したほか、後記各種安全設備を設置して右一方通行に伴なう変則的な進行を可能とする方法を講じ、引渡以前である同年三月一日からの本件道路の供用開始が告示され(同年二月二六日付建設省告示第四一九号)、使用に供された。
(2) 本件事故現場付近の本件道路の状況を可部町方面から広島市方面に向かってみるに、路面はコンクリート舗装され、ごくわずかな上り勾配であり、ゆるやかに左方に湾曲している幅員(片側二車線)八メートルの道路であり、前方の見とおしは良好である。工事未完成の左二車線(東側、四車線完成時には可部町方面から広島市方面に至る上り車線となるもの)との間には若干の段差がある。本件衝突箇所である三叉路中央分離帯の東北端、すなわち安全島の東北端から約六〇メートル北側手前から左車線の方へ斜めに舗装され、同じく手前四〇メートルからは左車線も完全に舗装されて上下四車線の舗装道路(幅員一六メートル)となっており、三叉路の北側手前六〇メートルから徐々に左転把すれば、ゆるやかに幅員八メートルの前記完成している国道五四号線の左側二車線(下り車線)に入れるようになっていた。本件道路における速度は時速六〇キロメートルに規制されており、本件事故現場付近の視界はひらけているが、本件車線の両側及び本件事故現場付近に商店や住宅や街灯がないため、夜間は暗い状態であった。なお、本件事故現場付近の道路状況の概略は別紙図面のとおりである。
以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 安全施設の状況
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告会社の工事責任者である訴外末廣清治は建設省や警察当局と協議のうえ建設省の指示する設計書に基づいて本件事故現場に土のうを積んで安全島を構築して各種安全設備を設置し、中国地方建設局広島国道事務所の工事課長である訴外廣本肇らが右安全島や安全諸設備の完工検査をし引渡しを受けたが、右諸設備の見廻り等の具体的な管理は被告会社に実施させていた。
(2) 本件事故現場に接近する本件道路(三叉路北方の片側二車線)における安全設備の状況を可部町方面から広島市方面に向ってみると、右安全島の手前約五四〇メートル、四〇〇メートル、二六〇メートル、一二〇メートルの各地点に、右廣本の判断によって高さ一・四メートル、幅一メートルの青地に白く徐行と記入した「徐行標識」が設置されていた。次に、右安全島の手前約二八〇メートルから約一〇〇メートル手前にかけて本件道路の両側に二〇メートルの間隔で、右安全島の約一〇〇メートル手前から約四〇メートル手前にかけては同じく五メートルの間隔で、それぞれ高さ一メートルの埋込式の視線誘導標(デリニエーター)が設置されていた。右デリニエーターは正面に自動車の前照灯が当たれば反射鏡に反射して危険を知らせるとともに運転者の視線を誘導するものである。そして、本件道路左側のデリニエーターは本件事故現場の直前から道路舗装が斜め左の方向に左側車線に拡幅されているのに沿って斜め左方に並んで設置されていた。また、右安全島約二八〇メートル手前からは四〇メートルないし二〇メートルの間隔で本件道路右側に沿って長さ〇・六メートル、幅〇・四メートルの長方形の方向指示板が設置されていた。右方向指示板は黄色地に夜光塗料入りの赤色塗料で「左」向きの矢印が記入されており、夜光塗料のため夜間でも見ることができた。
(3) 次に、安全島及びその付近の安全施設についてみるに、安全島は東北側(三叉路に向い南進する車両が対面する側)一八メートル、西側二六・四メートル南東側一二メートル(中央分離帯を利用)の鈍角の三角形をなし、南進する片側二車線の本件道路を完全に塞ぐように三叉路中央部に東北側と西側に土のうを二段に積み、南東側は中央分離帯を利用して設置されていた。そして、安全島の東北端である中央分離帯の北端のコンクリートには、車両の前照灯に反応して赤色に反射して危険を知らせる視線誘導標キャッツアイ三個埋め込まれていた。そのやや西側の安全島東北部と、安全島北端部の二箇所には風力によって回転し車両の前照灯に反応して黄色に反射して危険を知らせる風力回転警示器が設置されていた。安全島内の東北側、土のうに沿って高さ〇・八メートル長さ一・二メートルで黒地に黄色の縞模様のバリケードが七基設置され、倒れないように土のうでその足を押えられていた。更に右バリケード一基につき二本(合計一四本)、高さ一・五メートルのデリニエーターが設置され、各バリケードの間には乾電池で点滅する赤色電灯が頭部に取り付けてある高さ一メートルの赤色保安灯が七本設置され、更に西側土のうに沿って同様に六本設置されており、安全島内に合計一三本設置されていた。右赤色保安灯は水タンク式の台に装着されていて倒れにくいようにしてあり、その乾電池は被告会社従業員清原道貫が一週間に一度位の割合で取り代えており、同人が毎夕点灯し、翌朝消灯していた。
(4) 本件事故当日は雨が降っていたが、降雨のために前方の視界が妨げられるという程ではなかった。また本件事故当時、赤色保安灯の若干本が転倒等で機能していなかった疑いはあるが(事故前からのものかどうか不明)、仮にそうとしても、その余の赤色保安灯、デリニエーター、キャッツアイ等の安全設備は概ね全部正常に機能していたものと推認され、自動車運転者がごく通常の注意をもって前方注視義務を尽くす限り、安全島ないし中央分離帯の存在を気づかなかったりあるいはその位置を誤認するような状況ではなかった。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
原告らは、被告国及び被告会社の主張する安全諸施設は図面上のものにすぎず、主張の数量はなく、本件事故当時赤色保安灯は転倒して消えており、デリニエーター等は泥が付着して機能をはたしておらず、安全島の存在を示す施設は不十分であった旨主張し、亡山県が本件事故直後訴外小池に事故発生時赤色保安灯が点灯しておらず安全島が全く見えないまま衝突した旨語ったとの右主張に副う証人小池勝美の証言もあるが、本件事故直後駆けつけた警察官である証人下手和之は赤色保安灯のうち一、二本は転倒していたが何本かは置いてあった旨証言し、同じく警察官である証人西田逸夫も赤色保安灯が数本あったが本数は記憶していないが、しかし少なくとも一本あったことは記憶にある旨供述していること、小池自身本件事故直後赤色保安灯が三、四本点灯されているのを見た旨証言していることなどに照らせばこれらは、前記認定に副う前掲各証言等を裏付けるもので、原告らの主張に副う証言部分の信用性を疑わせるものである。また、本件事故発生まで本件道路供用開始後わずか一ヶ月半しか経過していないことからしても、デリニエーター、キャッツアイの設置が供用開始以前であるとしても、泥が付着して機能をはたしていなかった旨の原告らの主張もたやすくは首肯できない。
(三) 瑕疵の存否について
(1) 以上認定した事実からして、本件道路は国道として公の目的(交通)に供されているもので、安全島、保安設備等も含め一体的に公の営造物と認められるが、このような意味での公の営造物たる本件事故現場付近の道路につき、以下国家賠償法二条一項所定の設置又は管理に瑕疵があったか否かにつき検討する。
一般に、本件のごとき道路の設置又は管理に瑕疵があったかどうかは、当該道路について現に予想される利用状況に照らし、その場合の通常の用法、つまり自動車運転者として通常とるべき運転方法に従って運転した場合に、なおその設備構造等において安全性に欠けるところがあったか否かによって判断すべきものと考えられるところ、まず、前記認定の当時の交通事情及び道路状況下においては、本件事故現場三叉路北方の佐東バイパス片側二車線を一方(南進)通行とする変則的な形で一先ず道路としての供用を開始したこと自体には、その必要性とともに構造上も一般的には問題はなく、そしてその場合、本件のごとき安全島の設置自体も、車両の適切な誘導と安全を図るうえで、一般には十分合理的でありかつ必要欠かせないものであったと認められる。
そこでさらに、右安全島(中央分離帯を一部含む)の位置、形状、その他の保安設備等の適否について検討してみるに、右安全島は、前認定のとおりこれがなければ本来は一方通行の南進車両が北進車両と正面衝突する関係にあるのであるから、これらの車両にまず安全島の存在をあらかじめ十分確知させるものであるとともに、次いでこれによって右車両を適切に誘導するものでなければならないといえる。
これらから前認定事実に照らしてみるに、たしかに、当時現場付近は街灯、人家の明り等もなく夜間暗い場所ではあったが、前方見とおしの良好な場所で、自動車運転者としては夜間の走行では当然その前照灯による照射と同照射距離(一〇〇メートル、三〇メートル)、状況(降雨等)に応じた速度調節が予定される(本件道路は一方通行で対抗車両がないから通常一〇〇メートルの照射距離が予定される)うえ、亡山県の進行方向に従ってみた場合、前認定のとおり、前方安全島の手前約五四〇メートルの位置から四個の徐行標識、また同約二八〇メートル手前から道路両側に進路に沿って多数の視線誘導標(デリニエーター)、さらにまた道路右側に数個の方向指示板があって、これらに前照灯を照らすと進路を確認し、かつ徐行して誘導される筈の状況にあり、そして、前方安全島については、その位置、形状、その保安設備は前認定のとおりで、その赤色保安灯、視線誘導標、風力回転、警示器等からして、これを現認することはごく通常の注意をもってすれば運転に支障のない程度の手前から容易に可能であったとみられるのみならず、安全島手前約六〇メートルの位置から左転把してゆるやかに左車線に移行し得る状況にあるわけで、これら諸状況は、自動車運転者が通常とるべき運転方法に従って運転すれば本件のごとき衝突等の事故発生は容易に避け得た構造設備のものであったと認められる。そうすると、本件事故現場付近の道路に瑕疵はなかったものといえる。
なるほど、《証拠省略》によると本件事故前にも自動車が安全島に衝突したり乗り上げたりする事故があったことが認められるが、前記道路状況でも、自動車運転者が前方注視等の基本的な注意義務を怠り、あるいは無謀な高速運転をすれば、右のごとき事故発生も避け難いところであり、また、安全設備としてさらに、夜間の街灯を設置し、あるいは片側二車線から左転把して左側車線に移行し得る位置をなお北方に拡大するなどのことが一層望ましいともいえるが、本件程度でも通常の車両運転には十分対応し得るものとみられ、本件道路に瑕疵があったとはいえない。
(2) 被告会社に対する関係で、民法七一七条所定の土地工作物責任における「設置又は保存の瑕疵」の存否について検討するに、右の瑕疵は国家賠償法二条一項所定の「設置又は管理の瑕疵」と同一内容と解されるところ、前叙のごとく本件事故現場付近の道路に瑕疵は認められない。
3 被告国及び被告会社の責任について
以上によると、本件事故現場付近の道路にはその設置又は管理もしくは保存に瑕疵がないから、原告らの被告国及び被告会社に対する請求はさらにその余の点について判断するまでもなくすべて理由がないこととなる。
二 診療事故について(被告中垣及び被告岡本の関係)
1 亡山県が昭和四四年四月一六日被告岡本の経営する岡本病院に自動車運転中衝突事故を起こした旨告げて診療を求め、通院加療していたこと、昭和四四年五月三日午後八時ころ亡山県が来院して被告中垣の診察を受け、その際嚥下痛、発声時痛を訴えたこと、被告中垣は左顎下部リンパ腺炎と診断し痛み止め等の治療を行なったうえ帰宅させたこと及び亡山県が同月四日午前七時五〇分ころ口腔内多量出血に基づく窒息により死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 亡山県の診療の経過及びその後の状況
(一) 前記当事者間に争いのない事実に《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(1) 亡山県は昭和四四年四月一六日午後八時五五分、自動車を運転中衝突事故を起こし、全身打撲、特に腰痛と右足関節の痛みを主訴として岡本病院に来院した。腰部をX線撮影したが特別な所見はなかった。
病名「腰部打撲、口唇挫傷、右足関節捻挫」の診断の下に、腰部と右足関節に湿布したほか、口唇に擦過傷があったのを処置し、消炎鎮痛剤を処方した。
亡山県はその後四回(但し、五月二日までの分)岡本病院に通院した。
四月一七日亡山県が通院した際は、被告中垣が診察をし、亡山県が右足関節の疼痛を訴え腫脹が認められたため、腰部と足関節に湿布し、口唇の処置をした。
翌一八日腰痛と足関節痛を訴え、右足関節部をX線撮影したが特別の所見はなく、腰部と右足関節部に湿布をし、消炎鎮痛剤及び湿布薬を処方した。同月二四日は腰痛を訴えたので、腰部に湿布をし、前回同様の鎮痛剤及び湿布薬を処方した。同年五月二日腰痛を訴えたので腰部に湿布をし鎮痛剤を処方した。
四月一六日から同年五月二日までの通院加療中、亡山県が嚥下痛や発声時痛あるいは頸部の疼痛を医師に訴えたことはなく、そのため、頸部についての治療、すなわち湿布や投薬はなされていない。
(2) 同年五月三日の夕方、亡山県は勤務先で来客と対談中急に喉が痛くなったため、同日午後八時ころ岡本病院に赴いた。同人は当夜当直医であった被告中垣に対し右経過を述べて、交通事故とは関係ないと思うが、診察してもらいたい旨申し出た。
亡山県の主訴は左顎下部に腫脹、疼痛、圧痛があり、嚥下時、発声時に特に疼痛があるということであり、四月一六日以来腫脹には気付いていた旨述べた。そこで被告中垣が診察したところ、視診上頸部に皮下出血、色素沈着、打ち身等の外傷は認められず、外形からは格別腫脹の存在も認められなかった。口腔内では咽頭部に軽度の発赤が認められた。触診によれば亡山県の左顎下部に圧痛があり、その部位に拇指頭大の固いぐり様の腫瘤が認められた。右腫瘤は搏動性(心搏動に同期した雑音を自覚的・他覚的に聴取できるもの)のものではなかった亡山県の頸部全体を触診したが、腫瘤が認められたのは左顎下部だけであり、他には見あたらなかった。
被告中垣は院内電話で、病院長であり指導医師である被告岡本に対し、亡山県の容体につき左顎下部に圧痛性のある腫脹があり、嚥下痛、発声時痛があり風邪気味で咽頭部に発赤があり、リンパ腺炎と判断される旨告げたところ同人もこれを了承し、同人の指示で被告中垣は抗生物質を注射した。
(3) 亡山県は五月三日帰宅して就寝したが、同月四日午前三時半ころから喉に異物感を感じて同日午前七時半ころ起き上がって洗面所で口をゆすいでいたとき、鼻や口から出血が始まり、やがて意識不明になった。そこで、原告山県久美江は同人を救急車でシムラ外科病院へ搬送したが、同日午前七時五〇分ころ同病院に着いた時には、同人の心音は聞こえず、自発呼吸もしておらず、瞳孔は両方とも散大し光反射もなくなっており、鼻孔、口腔は血塊によって完全に閉塊していた。
種村医師らは管を気管に入れようとしたが血液が塊っていたため不能であり、更に気管切開、心臓注射、心臓マッサージ等をしたが蘇生せず、同日午前八時二〇分ころ死亡と断定された(死亡時刻は同日午前七時五〇分と推定された。)。同医師は前記臨床所見から気道閉墓による窒息死と診断したが、その原因となった大量出血は咽頭付近の血管が破裂したものと推定した。
(4) 死後直ちに原告らの依頼によって広島大学医学部病理学教室において、教授医師山田明の立会いのもとに医師沖田肇が執刀して病理解剖が行なわれた。それによって得られた所見(診断)は、亡山県の左総頸動脈の内・外頸動脈分岐部下方約一センチメートルの部位における長さ一センチメートル、長径一・五センチメートル、幅〇・五センチメートルの大きさの小動脈瘤の破綻に基づき、喉頭内及びその周囲(主に左側)、甲状腺、食道周囲(上部)などの軟部組織に著明なる出血(血腫形成)がみられ、気管、気管支、肺胞中にも血液が認められ(但し、気管内の血液凝固による著明な気道の閉塞らしきものは認められない)、また声帯が浮腫していた。胃内にかなり新鮮な血液及び胃液等の内容物が合計約二〇〇CC貯留していたが、右血液は口腔内から誤飲したものと認められた。同人の首はかなり腫脹しており、右動脈瘤から一ないし二センチメートル離れた位置にある左頸部リンパ節(首のぐり)が反応性増殖(リンパ腺腫脹、前記小動脈瘤から一、二センチメートル離れた位置にあり、その動脈瘤と直接の関係はないが、その出血により間接的に生じたものとみられる)していた。同人は全身性動脈硬化症であったが、比較的軽度であり、同人の年令(四八才)からすれば通常で問題とすべき程ではなかった。小動脈瘤部分の壁の組織学的な所見としては壁内における出血、周囲組織における反応性の炎症像が著明であって、若干の時日の経過を思わしめる。
両医師は右動脈瘤破綻による出血により気管、食道、甲状腺周辺に血液が貯留し、外から気管を圧迫する一方で、組織の間隙からもれた血液が気道にはいったことに加え、声帯が浮腫したために気道が閉塞し、呼吸困難となって窒息死したものと判断した。そして、右小動脈瘤(動脈が破れ、そのまわりに溜った血液がかたまって出来るもの)の成因については、決め手になるものはないが、亡山県に先天性動脈瘤があったとは認められず、また、後天性動脈瘤の原因となる強度の動脈硬化症も認められなかったため、消去法によって外傷性のものと推定した。しかし、解剖時左頸部に打撲症的な外傷の所見はなかった(つまり、この点は、右成因につき、外傷以前にすでに内因的ななんらかの原因で動脈が破裂し易い状況にあって、これに外傷を生じない程度、形での外部からの衝撃が加わり生じたものと推定される)。
なお、両医師は食道静脈瘤の破壊の疑いをもっていたが、その所見は見出されず、また通常その原因となる肝硬変等の基礎的な疾患も認められず、鼻部、口腔内、食道部にも出血の原因となる著変は見出されなかった。
(5) 被告中垣は昭和四四年三月広島大学医学部を卒業し、同年四月医師国家試験に合格し、同年五月医師免許証の交付を受けた。
被告中垣は医師免許証交付前である昭和四四年四月以降被告岡本の指導、監督の許に岡本病院において実地修練を受けており、被告中垣が亡山県を診察治療した時はまだ右実地修練中であった。
(二) 原告らは亡山県が通院加療中から嚥下痛、発声時痛を訴えていた旨主張し、成立に争いのない甲第一号証(被告岡本作成の診断書)、証人小池勝美の証言及び原告山県久美江本人尋問の結果中には右主張に副う記載(「通院加療中、嚥下痛、発声時痛を訴えた」)及び供述部分がある。しかし、《証拠省略》によれば、亡山県が交通事故直後の通院加療中に同人を実際に診察し、カルテ(昭和四四年五月二日までの分)に記入したのは医師多田邦夫、同角重信及び被告中垣であり、被告岡本が亡山県を実際に診察したことはなかったこと、右カルテには嚥下痛、発声時痛を訴えたりこれに対するなんらかの処置をしたような記載は全くないこと、が認められるうえ、更に被告岡本本人尋問の結果によりうかがわれる前記甲第一号証の作成の経過事情などに照らすと、亡山県が通院加療中に現に前記のような症状を訴えていたものとは認められない。《証拠判断省略》
また、前記丙第一号証の一、二のカルテには「先月一六日頃より腫脹に気付く……」との記載があるが、これは被告中垣本人尋問の結果及び右カルテ記載の形状よりすると亡山県から同被告が同年五月三日に聴取した主訴と認められる。
そしてまた、原告らは亡山県が同年五月三日午後八時ころ岡本外科病院に来院した際、同人の頸部は首がなくなる程非常に腫れ、「血管が切れたように痛い」と強い痛みを訴えていた旨主張し、《証拠省略》中には右主張に副う供述部分もあるが、被告中垣満本人尋問の結果及び当時作成されたカルテの記載に照らしたやすく措信しがたく、前認定程度の腫脹、痛みであったと認められる。
以上のほか、前記(一)の認定を左右するに足りる証拠はない。
3 本件死因について
前認定の事実に基づいてまず亡山県の死因について判断するに、前認定のとおりそれが口腔内多量出血に基づく窒息であることは当事者間に争いがない。そこでさらにその出血の原因について検討する。
亡山県を病理解剖した広島大学医学部病理学教室教授山田明及び同教室医師沖田肇は前認定のとおり前記動脈瘤の破綻に基づく出血である旨原告らの主張に副う判断をしている。
これに対し、被告らは、前記動脈瘤破綻から咽頭側壁その他口腔内の粘膜をつき破ったとする資料はなく、多量に吐血したうえ鼻孔、口腔に血塊があったとの臨床所見に合致しない旨主張する。
なるほど、右動脈瘤破綻の部位から口腔内には直接的な連絡はないため、組織構造上は多量の血液が口腔内に流れ出ることは普通考えられず、口腔内の粘膜を突き破った損傷の跡も認められなかったことは《証拠省略》により認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
しかしながら、《証拠省略》によれば、動脈瘤破綻後喉頭部分の組織の間隙を縫って出血すること及び就寝中で右出血に気付かず、口腔内にかなり貯留する場合があることが認められるうえ、更に前認定のとおり病理解剖の結果によっても多量の出血の原因となるような所見は本件動脈瘤以外には認められなかったことからして、被告らの右主張は採用し難い。
したがって、亡山県の死因については、病理解剖の診断のとおり左総頸動脈の内・外頸動脈分岐部下方約一センチメートルの部位に発生した小動脈瘤の破綻に基づく出血による窒息死と認めるのが相当である。
4 過失の有無について
次に、被告中垣の診療行為に過失が存するか否かについて判断する。
(一) 《証拠省略》によれば以下の事実が認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(1) 頸部における外傷性動脈瘤の発生頻度について、京都大学医学部脳神経外科学教室講師医師米川泰弘によると、この部位における動脈瘤の発生頻度はきわめて稀であり、その主な原因は動脈硬化症が考えられ、外傷性の動脈瘤はさらに稀である、とされ、また、広島大学医学部脳神経外科教室助教授石川進らによると、総頸動脈の動脈瘤は稀なものであるが、穿通性外傷による症例が報告されているとされ、更に京都大学医学部脳神経外科教室教授半田肇によると、頸部頸動脈・椎骨動脈の外傷性動脈瘤及び動静脈瘤の大部分は刺創あるいは銃創などの頸部の穿通性外傷により血管壁が直接損傷されておこる、また頭部外傷の際の頸部の急激な無理な過伸展回旋により動脈内膜、中膜に損傷が起こり、ここから解離性動脈瘤を形成することがある、とされている。証人沖田肇は日本の文献によって調査したところ五〇〇例の動脈瘤のうち頸部に発生したのはわずかに一例であり、しかも動脈硬化症が非常に強い場合であったと述べている。
(2) 外傷性動脈瘤における他の組織の損傷の程度について、外傷性動脈瘤はよほど強力な外力が当たった場合に起きてくるもので、普通の場合は動脈以外の組織、すなわち動脈の外側にある静脈や皮膚や皮下組織も損傷するものとみられるところ、更に、前記医師米川泰弘によると、頸動脈三角部にかなり大きな平面をもった外力が加えられた場合には動脈瘤が発生する可能性があるが、しかし、この場合でも皮膚、皮下組織静脈を全く損傷することなく起こり得るかどうかは非常に疑問であり、例え起こったとしても非常に稀である、とされている。
また、前記のとおり外傷性動脈瘤としては穿通性外傷による動脈瘤が典型例とされる。
(3) 以上によると、一般に、臨床上、頸部における動脈瘤の発生はきわめて稀なものであり、その成因につき、内因的には動脈硬化症の非常に強い場合であり、外因的には多くは当該頸動脈自体の穿通性外傷による損傷の場合であるか、その他の外傷による場合でも、その際の外力はかなり強力なもので、その部位付近の外部になんらの損傷をも伴わない場合は通常考え難いものとみられる(頭部外傷による頸部の過伸展等の場合も通常頭部に相当程度の外傷を生ずるものとみられる)。
(4) 頸部動脈瘤の臨床診断について、まず、前記その成因の存否が考慮されることとなる。そして、通常、頸部の動脈瘤を臨床的に示唆する所見は、頸部に搏動性の腫瘤が形成されていること、つまり心搏動の周期と一致した雑音が自覚的、他覚的に聴取されることであり、動脈瘤より心臓側の総頸動脈を圧迫するとこれらは減弱ないし消失する。しかし、瘤内の血栓形成が著明であったり、周囲に血腫があると搏動、雑音が認められない場合がある。
腫嚥が大きい場合は嚥下困難、呼吸困難、気管偏位等の圧迫症状を呈する。なお、動脈瘤の大きさが二センチメートル以下の大きさでは腫瘤として認められることはほとんど不可能である、とされる。
小さな動脈瘤でとくに臨床症状のないものはしばらく経過を見てよいとされるが、最終診断としては、血液造影剤注入による血管撮影を行うこととなる。しかし、これはかなり危険を伴い、相当な設備のある所で経験を積んだ医師によってのみ安全な実施が可能である。
鑑定人米川の鑑定結果によると、本件のごとき部位にある小動脈瘤を臨床的に発見することは、一般に、可能ではあるが、かなり困難なものとされる。
(二) そこで、右各認定事実からして検討してみるに、まず、亡山県が被告岡本病院に通院加療中の昭和四四年五月二日までは、自動車事故による受傷として腰痛、右足関節の疼痛・腫脹、口唇擦過等の症状が存したのみで、頸部に痛み、腫れなどを訴え、あるいは嚥下困難、呼吸困難など多少とも頸部動脈瘤の存在を疑わせるような異常症状は全く存しなかったのであるから、単に自動車事故に遭って頸部もあるいは打撲を受けたかもわからないといった程度のことで、相応の外傷もないのに、きわめて稀に発症するとされる外傷性の頸部動脈瘤の存在まで疑ってみるべきだったとは到底いえない。
そして、次に、亡山県が同年五月三日夜被告岡本病院を訪れた際のことであるが、本人は嚥下痛、発声時痛を訴え、頸部の腫れを訴えて、被告中垣も触診によりはじめて左顎下部に拇指頭大の圧痛のある腫瘤(これが本件動脈瘤であったかどうか必ずしも明確でない)を認めているが、右が搏動性のものでなく、固いぐり様のもので、外部から視診上はその存在を認められない程度の小さいものであったうえ、その部位付近に外傷性動脈瘤の典型例にみられる穿通性外傷がなかったのはもとより皮膚や皮下組織に色素沈着等の異常所見(当初から頸部損傷の臨床症状はない)すら認められず、その他動脈瘤の成因の存在を疑わせる格別の臨床所見も存しなかったのであるから、通常の医療機関で診療に従事するものとして、右状況下で直ちに、外傷性、非外傷性とも稀に発生するとされる頸部動脈瘤の存在まで疑い、それ自体かなりの危険性を伴う血管撮影による検査の実施を考慮したり、経過観察のための入院措置を奨めたりまですべきであったとは認められない。
のみならず、当時被告中垣は、前記状況の外、口腔内咽頭部に軽度の発赤を認め、また亡山県が風邪気味の様子であることを認めていること、前認定の病理解剖の際には左顎下部の頸部リンパ節(首のぐり)に反応性増殖が認められていること、及び顎下のいわゆる「ぐり」が腫れて痛みがあれば普通はリンパ腺の炎症を考えるとの証人山田明の証言等に照らすとき、被告中垣が亡山県の前記症状につき「リンパ腺炎」を疑い、その処置をしたにとどまることも、臨床診断上やむを得ないものであったといえる。
以上によると、結局、被告中垣は、亡山県の診療につき、頸部における動脈瘤の存在及びその破綻の可能性を疑って、血管撮影検査等をなし、あるいは少なくとも経過的に入院させて安静措置をとるなどまですべきであったとはいえず、したがって、これをしなかったとしても、診療上の過失があったとはいえない。被告らの右主張は採用できない。
(三) そうすると、被告中垣に対する原告らの請求はさらにその余の点について判断するまでもなく理由がないこととなる。
5 被告岡本の使用者責任について
前叙のごとく、被告中垣の診療行為に過失が認められないから、被告中垣の不法行為責任を前提として被告岡本に使用者責任を問う原告らの本訴請求も、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
三 結論
よって、原告らの被告らに対する本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺伸平 裁判官 三浦宏一 裁判官永松健幹は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 渡辺伸平)
<以下省略>